2018/09/04どうでもいいこと

・進行方向に入ってくる奴ら

真っ直ぐ歩いていると、横の道から曲がって来たり建物から出てきた人が僕の進行しようとする方向に入ってきてそのまま真っ直ぐ進んでくることが多々ある。


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本来、普通に前を見ていれば相対して歩いてくる僕を見つけ、お互いがぶつからないように僕が通ろうとしている所に入らず少し距離をとって進むのが合理的だ。しかし上記の図の●の人はあえてぶつかる道を選び真っ直ぐ進んでくる。

またこのパターンもある。


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よりラディカルなパターンだ。真っ直ぐ進めばいいものの方向を敢えて変えぶつかりに来る。

このように衝突チキンレースを仕掛けてくる連中の心理とはどのようなものだろうか。

1つ思いついたのは、ある種の不安が彼らを駆り立てるという理屈だ。つまり、私は今から人とすれ違うが本当にぶつからずにすれ違えるか不安だ。そこで不安を解消するために積極的な行動に出たい。では敢えてぶつかりに行って相手に避けてもらおう。そうすれば衝突を回避したという実感も得られ不安は少し紛れるはず。こういった心理だ。名付けて神経症

もう一つ思い付いた。これも不安が関連している。前にテレビで見たのだけれど、エレベーターなどの密室で話しかけてくる年配の婦人には、その相手に対して恐怖心を抱いているために、恐怖心を相手に悟られないよう敢えて話しかけることで、お前など怖くないと暗に伝えようとする心理があるらしい。この理屈はこの心理の応用だ。つまり、前から知らない人が来る。怖い。しかし、その恐怖心は認めたくない。私はそんなに弱くないはずだ。それを証明するために敢えて相手に向かっていってやる→チキンレース開始。という心理。名付けて臆病。あるいは『地下室の手記』野郎。

と、考えてみれば彼らにも何かしら理由があるのかもしれない。ちなみに僕はチキンレースの火蓋が切って落とされたと同時に棄権するタイプだ。ムカつくがさっさと避けてやるに限る。

 

・大人が怖い

前にフランスの引きこもりに対するインタビューを読んだが、そのインタビューを受けた女性は大人になったのにとても大人が怖いらしい。なんと奇遇な!僕も28歳といういい歳になったが未だに大人が怖い。ここで僕がいう大人とはいわゆる上司(僕にはいない)、教師、保守派政治家、実業家、馬鹿そうなテレビコメンテーターなどの一定の権力者のことだ。先日経団連の会長の写真を見たときなどは、大人大人したいい面してんなぁこの大人はと、しみじみ感じた(意味不明)。何というか、こういう大人って話が通じなさそうなんだよね。接し方が全くわからない。これは思春期において僕に父親がいなかったせいかもしれないしまた別の理由かもしれない。とにかく大人は傷つかないから大人だ。だからこそ生き抜いて来て彼らは大人になれた。そこが怖い。底が知れないぜ、大人は。

 

・怒ってはいるが人には怒れないしましてや怒られたくもない

怒りをコントロールしつつ、その怒りをある限度で他者に対して表出し爆発を防ごうといった試みがある。いわゆるアンガーマネジメントの一つだ。それはいい。だが怒りを受け止める場面が問題だ。

哲学者兼文筆家の中島義道は怒りを伝える技術、怒りを受け止める技術の両方が必要だと説く。彼は哲学者故に、言語あるいは非言語によるコミュニケーションを最重要視している。当然コミュニケーションは一方的では成り立たない。従って一方的に怒るだけしかできない人間はコミュニケーション至上主義の彼からすれば未成熟なのだ。例えば電車で自分の非を注意されたからと言って、何だコラと掴みかかったり線路に叩き込んだりする人は駄目だというわけだ。自分が責められたときは素直に非を認めるか、妥協点を探るか、弁解・反論するのが彼にすれば正しいことになる。

残念なことに僕はそのいずれもできないし、やる気がない。自信は全くないがまだ殴り合いの方がいいと思うくらいだ。コミュニケーションは面倒だし、相手と言い合うのは本当に恐ろしいことだ。しかし、暴力が許されない世界なのだからコミュニケーションの力こそ今は全てだ。今や怒りを表現するためのHow to本みたいな本が山ほど書店に並んでいる。時代は僕のような打たれ弱い臆病な男をサンドバッグにしたいに違いない。殴り合いでなら勝てそうな相手に言葉のナイフでめった刺しにされた上、未成熟な人間としての烙印を押される不平等。

じゃあ893の世界で武闘派として頑張れば、という話かもしれないが、絶対ヤダ。結局コミュ力というより臆病な性格が全ての根源だ。