バイト辞めた
何だかんだ続けていた障害者雇用のバイトもとうとう辞めた。
辞める前、配属先が変わり、仕事も多少変わり、その他もろもろ疲れてしまって衝動的にそのままバックれた。(バックレ癖だけは治らないのである)
思えば2年半以上勤めた。
社内ニートになったり、ヤバいやらかしをしたり色々あったけど人生で1番長く働いた職場となった。
クソお世話になりました。
前回のこのブログの更新は2年ほど前だろうか。
その間特に何も無かったとも言えるし、色々あったとも言える。
けれどもいつだって、今この時がいちばん辛い時期だと感じる。
2年前の当時もそう思っていた。
『Hard times , come again no more』
というアメリカのフォスターという作曲家の曲があるが、いつかこの歌の歌詞のように、今より辛かった過去に思いを馳せる日が来るだろうか。
これは古き良きアメリカの歌であり人を癒すためのフォークソングだ。
トランプ政権が終わり、アメリカは癒しの時代を選んだはずだと思われたが状況は芳しくない。
コロナ、戦争、それに付随するインターネット空間の堕落・陰謀論・分断。
自分に変わりは無いが、少なくともこの2年で世界は大きく変わったように感じる。
やはり都合良く世界がわれわれに微笑むことは無い。
これをまざまざと見せつけられた若い世代がますます冷笑的になる。
アメリカの裁判官だか誰かが言っていたが、自分たちの世代で人権や平等、平和などを求める活動をしたとしても、その種が芽吹くのは何世代か後であり少なくとも自分がその時を見ることは無いのだと言う。
彼(その裁判官は男だった)は、それでもやるべきだと言う。
子どもに未来を残したいのだということだ。
いかにもな善人の言葉だがこれすら言わなくなればもはや手遅れだ。
自分が死ねば世界は終わりだと思っているが、30も過ぎると、公園で座っている時などに子どもが自分の側を駆け回っていくのの見ていると、この裁判官と通じる気持ちがあることに気づいたりもするものだ。
おおげさに言えば、オスカーワイルドの『わがままな大男』みたいな感じだ。
何年もたち、大男はたいへん年老い、体も弱くなりました。 もう遊ぶことはできませんでしたから、大きな肱掛椅子に座り、 子どもたちが遊んでいるのを見、庭を楽しんでおりました。 「ここには美しい花がたくさん咲いている」大男は言いました。 「しかし、子どもたちが何よりも美しい花だ」
開き直りの冷笑主義が増えた時代だ。
誰も自分自身を見つめたくないらしい。
今現在、絶賛無職中だ。
家にいる限り、精神的体力的負担は少ない。
在宅の仕事が向いているかもしれないが都合良く今後得られるものでも無いだろう。
今、障害者の為の就労支援施設に出戻って通いながら職を探しているが、それも芳しくはない。
別に、出戻る必要も無いかなぁと思いつつも、なんの社会的な支援との繋がりもなく生きていくのも少し寂しいかなぁと思い、結局今も通っている。
そこは以前通っていたところとは違うのだけれど、所変わればということで、利用者にも以前のところとはは違いが見られる。
以前は障害の態様も人によって様々な印象だったが、今は圧倒的に発達障害が多数派に見受けられる。
それも20代くらいの若い人達だ。
一様に真面目な人達であり、こういった人たちは、相対的に、本職のうつや双極性障害の人とは違い、体力があるので働く意欲もあるのだろう。
おっさんになってよくよく観察していると、若くて小綺麗で真面目な発達障害の人たちはやはり女性の職員に可愛がられたりしている。
自分を含めおっさん共のあしらわれかたというと、見ていてなかなか面白いもんでこれも貴重な経験だなと思いながら通っている。
女性となるとこういった見た目や年齢での扱いの違いというものを、若い頃からより肌で感じていて大変な思いをするのだろうなぁと思う。
まぁいずれ皆、みにくく年老いて、若い人たちにしかめ面されながら無様にケツを拭かれる未来が待っているのだ。
いまから謙虚になっておくのに越したことはないはず。
まあボチボチまたやっていこうと思う。
以上