1日を無駄に過ごした☆(ゝω・)vキャピ

「生まれたことが、そもそも、ほら、神様のおかげでしょう?その借りが誰にだってある」

「命を、神様から借りたわけか」

「そうそう、それよ」

「だったらさ、死ぬことで、神様に借りを返すことにならない?」

森博嗣クレイドゥ・ザ・スカイ』

やる気があっても身体と頭が全くついてこない日、というのがある。そんな日は終日焦燥感に囚われつつ、一向に捗らない状況を前に、呆然とただ1日の終わりを待つことしかできない。その結果として、時間を無駄にした後悔や不甲斐ない自分への恥ずかしさに耐え難い苦しみを覚える。いっぱしの向上心や理想など捨ててしまえば楽だが全てを諦め切れない。動物たちの方がよほど上手くやっているというのはその通りだ。

こういう時、僕は、諦観が支配している退廃的な世界に空想のなかで耽溺する。例えば平安文学であったり冒頭に引用したスカイ・クロラシリーズといったある種の中二病的フィクションを読み返しては別に頑張らなくいいやと溜飲を下げるのだ。もちろん平安時代の貴族も表面的には出世争いに精を出しているのだが、作品の全体からは、人生に対する個々人の無力さが喘ぐように描かれていて実に心地よい。

また死ぬこともよく考える。死ねば苦痛から逃れられるだろうなとゲーム感覚で考えてみる。実行には移さない。ただ、死は人生の無意味を根底で支えているのだから、ここでその肩を持たないわけにはいかない。人はどーせ死ぬから、という言い訳のお陰で今日1日なんとか生きられる。姑息なやり方だが効果はあるはずだ。

とはいえ、自分のやりたいことに対してでさえ身体が動かない僕はいずれホームレスになってもおかしくないでしょう。将来への不安は拭っても拭いきれません。そんな時もやはりどうやって死ぬかを考えます。刑務所も生活保護も自由が無いので嫌です。だから残された手段は死ぬことでしょう。いざとなったときの具体的な死に方が僕の不安を少し軽くしてくれるというわけです。まぁ、これもゲーム感覚ですけど。西部邁くらいの人間じゃなきゃそんな計画は達成できないのですから。