土日だったね

土曜日はイオンに出掛けた。服屋に入った。しかし気が乗らなくて何も買わずに店を出た。時間を潰すために喫茶店に入ろうかとも思ったが並んでいたら馬鹿らしくなってやめた。どうしようか逡巡した結果、前から気になっていたメイドリフレに行くことにした。

電車に乗って目的地へ向かい、駅から出てそのリフレ店があるマンションに入った。怪しい。しかし怯まず入店した。

筆者が面倒くさくなってきたので詳細は省きます。可愛いメイドさんが手や足を揉んでくれました。メイドさんは僕のリスカ跡だらけの腕を見て、猫に引っかかれたみたいになってるのねと言いました。僕はうん、とだけ答えました。他にもいろいろ話したんですが、職業について聞かれたとき僕は働いていると嘘をつきました。あと他のお客さんがやたら、語尾ににゃんにゃんと付けていたのが聞こえてきたので、僕もにゃんにゃん言わなきゃいけないのか尋ねたところ、そんなことないと全力で否定されました。楽しみ方は自由らしいです。帰り際にコーヒーを淹れてくれたので飲んで店を出ました。

土曜日はこんな感じ。

で、今日は日曜日。DTM作業をした。完成していない曲が何曲もあるので色々手を出す。前に作ったメロディを聞いてみたけど気に入らないのでまた新しいのを作った。もしかしたらこれも気に入らなくなってボツになるのかもしれない。

今日作ったやつ。


melolo

 最近ニューソウル系のアメリカのバンド the Ineternetがお気に入りでそれっぽいのを作りたいと頑張っている。しかしうまくいかない。多分ヒップホップ的要素が鍵盤での作曲を妨げているのだ。今回のメロディもソウルっぽいアドリブ的要素が無くて眠たくなるだけだ。これじゃthe Internetではなくフィッシュマンズだ。作りたいものがうまくいかないと冷や汗が出るし気が狂うほど腹が立つ。でも本場の連中がこのメロディを演奏してくれたらやっぱりそれらしくなるんだろうか?それを確認する機会は一生訪れないだろうが気になる。日本人として染みついたJポップメロディへの依存が都合よく脱ぎ捨てられればいいのに。

今日はやはり作曲は辛いなというのを再確認した一日。慣れたジャンルだともう少し簡単にいくけれどそれだけじゃつまらないのが音楽だ。テレビに出てるバンドマン達はいつも似たような曲を演奏しているが、死ぬまで同じような音楽をやり続けて嫌にならないのかいつも不思議に思う。僕は何でも作りたいし、勝手に何でもできるのが偉いと思っている。あほである。

1日を無駄に過ごした☆(ゝω・)vキャピ

「生まれたことが、そもそも、ほら、神様のおかげでしょう?その借りが誰にだってある」

「命を、神様から借りたわけか」

「そうそう、それよ」

「だったらさ、死ぬことで、神様に借りを返すことにならない?」

森博嗣クレイドゥ・ザ・スカイ』

やる気があっても身体と頭が全くついてこない日、というのがある。そんな日は終日焦燥感に囚われつつ、一向に捗らない状況を前に、呆然とただ1日の終わりを待つことしかできない。その結果として、時間を無駄にした後悔や不甲斐ない自分への恥ずかしさに耐え難い苦しみを覚える。いっぱしの向上心や理想など捨ててしまえば楽だが全てを諦め切れない。動物たちの方がよほど上手くやっているというのはその通りだ。

こういう時、僕は、諦観が支配している退廃的な世界に空想のなかで耽溺する。例えば平安文学であったり冒頭に引用したスカイ・クロラシリーズといったある種の中二病的フィクションを読み返しては別に頑張らなくいいやと溜飲を下げるのだ。もちろん平安時代の貴族も表面的には出世争いに精を出しているのだが、作品の全体からは、人生に対する個々人の無力さが喘ぐように描かれていて実に心地よい。

また死ぬこともよく考える。死ねば苦痛から逃れられるだろうなとゲーム感覚で考えてみる。実行には移さない。ただ、死は人生の無意味を根底で支えているのだから、ここでその肩を持たないわけにはいかない。人はどーせ死ぬから、という言い訳のお陰で今日1日なんとか生きられる。姑息なやり方だが効果はあるはずだ。

とはいえ、自分のやりたいことに対してでさえ身体が動かない僕はいずれホームレスになってもおかしくないでしょう。将来への不安は拭っても拭いきれません。そんな時もやはりどうやって死ぬかを考えます。刑務所も生活保護も自由が無いので嫌です。だから残された手段は死ぬことでしょう。いざとなったときの具体的な死に方が僕の不安を少し軽くしてくれるというわけです。まぁ、これもゲーム感覚ですけど。西部邁くらいの人間じゃなきゃそんな計画は達成できないのですから。

日記

今日は二日酔い気味で目覚めた。天気がよい。散歩に出かけた。名城公園を歩いた。以前は閑散としていたが、飲食店などが園内にできたためか学生や子ども連れの人々で賑わっていた。このあたりはまだまだ開発が進めてられていくようだ。なんとも今更な話だが名古屋は観光という要素を軽視しすぎていたのかもしれない。
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気候はかなり暖かくなった。もはや上着は要らないだろう。しかし、花粉のお陰で眩暈がしてきてかなり辛い。花粉症による人間のパフォーマンスの低下からくる経済的損失はどれくらいのものだろうか。今あるスギを伐採し花粉症の対策がされた品種の苗を植える試みが林野庁によって行われているらしいが、その効果のほどが実感できるためにはかなりの時間がかかるのが現状のようだ。花粉症による医療費の増加や外出を控えることによる個人消費の減少も考えれば、いくらかのコストを払い伐採と植樹による根本的な対策をなす事は合理的に思う。花粉発生源対策の予算は2016年度において4億円ほどであるらしいが、4億では焼け石に水だ。形だけ予算を配分して対策をやってますというアピールの域を出ない。花粉症対策は生活にも直結するので国民の同意も得やすいように思うが誰もやらないのである。損せず得をとれるカードを政治家が切らないのは不思議だ。

 

少しずつ自分の調子が良くなってきているのを感じる。やはり焦らないのは肝要である。28歳にしてロックスター気取りで人生を駆け抜けようとしても格好がつかない。調子の波には逆らわず流される方が楽だし安全だ。

 

日記と思ったこと少し

 ブログのネタは日記に限らなければ何だってあるが、日記が一番楽なので日記を書く。

 今日は朝からスーパー銭湯に出かけた。この施設には風呂の他に岩盤浴やサウナが楽しめるサロンスペースがある。このスペースは子供が入場できなくて割りと静かなため、僕は好んで利用している。ここではマンガが無料で貸し出されているので今日はモンキーターンを読んだ。しかし帰ってからやろうと思っていることに気をとられ内容は頭に入らなかった。せっかく銭湯に来たのにいまいちリラックスできなくて辛い。その後もソワソワは治まらなかったのでさっさと入浴して退館した。

 気分転換に歩こうと思い、徳川園に向かった。2日ぶりに陽の光をあびる。最近はPCで作業することが多く録に外出すらしていなかった。音楽制作者のレイ・ハラカミは夭逝したが、彼も僕同様毎日じっと座って終日作業に打ち込んでいたに違いない。思うに、彼の死にはこういったあまり体を動かさないライフスタイルにも関連があるのではないか。気を付けなければ。

 少し歩き徳川園に着いた。入園料は300円。静かで手入れのされた美しい日本庭園を300円で散歩がてら歩きながら楽しめるのだ。良心的な価格設定だと思っている。
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園内は、日曜日で少し観光客が多い印象を受けた。ほとんどがカップルか家族連れだ。孤独を感じながら、風に巻き上げられたごみ袋のように僕はフラフラと漂う。久々に歩いたのもあってすぐに疲れてしまい、風情など感じる間もなく早々に退散した。

 日本庭園のように健康的で文化的な場所にはある意味で健全な人たちが集う。なかなか僕みたいな友達もいない落伍者はその様な場所を居づらく感じてしまう。

 では一人であることに対して卑屈にも身勝手な劣等感を抱いている輩は何処へ行けばいいのだろうか。僕の答えはパチンコ屋である。なぜか?その根本的な理由は、パチンコがあくまで運に左右されるゲームなことにある(打ち手の実力は長期的にはいくらか作用するが何回かの試行ではそれほど差はないように思う)。

 店にはあらゆる社会的な立場の人が来る。カップルもいるしヤンキーもいる。しかし店内の誰もそれを一切不思議に思わない。日頃の行いやその人の社会的な立場など、平等な抽選(運)で勝ち負けを決めるパチンコには関係がないからだ。だからパチンコ屋はあらゆる人を受け入れるし、ギャンブラーたちもどんな人がいようが大して気にも留めない。そしてパチンコ屋の中には、前科者もカップルも年寄りも誰しもが平等であるという暗黙の了解が空気のように充満していき、人は排斥感を覚えにくくなる。

 このようなパチンコ屋の空気(但し煙草くさい)が好きで僕も以前はよく通っていたが、金ばかり減るのでやめてしまった。しかしどこかで居心地の悪さを感じるとパチンコ屋が恋しくなる。朝読んだモンキーターンでも、ギャンブルに関わっているからこそボートレーサーは、性別や社会的な立場や人柄など関係無く実力のみをもって評価されるとあった。やはりギャンブルにおいては勝ち負けに関すること以外の情報など必要ないのだ。そこには誰もが勝者になりまたは、ぼろ布のような惨めな敗者に成りうる残酷な世界があるが、その根底にはあらゆる者を受け入れる寛容さがあるように思う。

 何だか書いていて思ったけど、これはギャンブルに限った話ではないかもしれない。とにかく僕はギャンブルは非情であること。そこに居心地の良さを感じることが言いたかった。情が人を苦しめている。非情ならあきらめもつくってことだ。

 こんなこと考えていたら日が暮れた。あぁ...

 

近況

 パーマ

 生まれてはじめてパーマなる特殊装備を身に付けたよ。
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結構時間がかかるんだね。そして費用も。ただでさえカットに5000円かかるのにパーマのお陰で倍プッシュ。ああ、散髪で諭吉が溶けるのも初めてだわ。しかし軽く頭頂部にかけただけで1時間くらいかかるということは、女性の手の込んだスタイルだと待ち時間でワンスアポンアタイムインアメリカが見れちゃうんじゃない?美容室に雑誌が一杯ある理由がわかったよ。

 

DTMのレッスン

 音楽製作を指導してくれる体験レッスンに行ったのでそれについて書いていく。

 当日は地下鉄を乗り継いで教室に向かった。地上に出て地図を見ながら歩き目的地のビルに着く。このビル、事務所として使われている部屋もいくつかあるらしい。しかしビルの内側は普通のアパートのようになっているため、いきなりガチャっと開けて教室に入るのはためらわれた。幸いピンポンがあったので押す。女の子が出てきた。彼女は僕の名前を確認した後、部屋の中に入れてくれた。女の子から手渡されたアンケート用紙に記入をする。プロになりたいかとあったので、なれるとは微塵も思ってないがプロに出来ればなりたいに○をつける。目標を高く設定した方が講師の指導も違ってくるだろうと踏んだためだ。

 記入を終えレッスンが始まる。女の子を受付に残し、僕と講師の男性とでレッスンスペースに入る。講師は年上だがまだ若そうである。アーティスト風だが知的な印象もある。彼は僕のアンケートを読んだが、ふざけて将来の夢に「働く」と書いたり、職業欄に「秘密」と書いたところは無視した。いいもん...普段使っているプラグインなどを聞かれた後、早速持ってきた僕の音源を聞いてもらう。直前に作ってきたやつだ。パソコンに接続されたモニタースピーカーから僕の曲が流れる。講師は下を向いて、時折うなずきながら集中して耳を澄まして聞いている。緊張しながら曲が終わるのを待つ。講師の感想はというと、高音の処理(これはわかってた)や所々に入れたSEや、FX的な音の処理について甘さがあると言われたが概ね悪くない感じらしい。wavesのアナライザーを使ってms比など細かく調べられる。普段ろくにしっかりしたアナライザーを見ない僕は何を基準にしてこの光景を評価すべきかはわからなかったけど、講師曰く音響処理に関して致命的に悪いところはないようだ。意外と僕の耳も捨てたもんではなかった。

 その他にも過去作った曲を聞かせる。まぁ反応は良くない。直近のものが一番まともというわけだ。そこらへんは自分でもわかっていたので驚かない。ひがしまるうどんスープの曲のリミックスみたいなふざけたものも再生されたが案の定、講師は突っ込まなかった。スルースキルが高い。

 一通り聞き終えて気になったが作曲そのものについての意見はなかった。変則的に使ったコードなんかのところで、うんうんと頷いていたので一応作曲面での評価もしてはいるらしい。なにも言わないのはこれ以上は有料だぞ、小僧ということか。しかし察するに講師の本業はドラムとエンジニアリングでたまにアレンジや作曲という感じ。果たしてどこまで作曲についての指導が受けられるか不安は残る。

 もちろん有用な話も聞けた。月になん十曲もミキシングしなければならない彼は、アナライザーを使い視覚的な方法を通して処理をすることで一定の質を保ちつつ迅速に仕事を進めるらしい。やはりプロの世界である。一曲に何日もかけられない以上、妥協点を見つけながら数々の依頼をこなしていくのである。

 いくつか彼が僕の質問に答えた後、体験レッスンは終わった。とりあえず今後も受けてみるかという気になった。受付で座って再びレッスンについてのアンケートに記入する。すると受付の女の子が僕のアンケートを見て、アニソン好きなんですねと話しかけてくれた。そしてどんなアニソンが好きかという面倒な質問をしてきたのだが、くそ真面目にMONACAの曲といってしまった。わからなさそうな感じだったので、化物語の曲なんかを製作していると教える。しかし化物語ってシャフトじゃないんですか、などと言われ、噛み合わない。説明してMONACAは音楽製作事務所であることを理解してもらった。その他にも傷物語は三部作で見に行くの大変でした、といわれたが結局僕はコミュ症っぷりを発揮し、うん...としか答えられなかった。

 契約書にサインし教室を出る。女の子が出口まで見送りに来てくれたので、失敗を取り戻すかのように丁寧に頭を下げお礼を言い別れた。

 こうしてレッスンに通うことになった。次回、一曲作って持っていくのだが今現在作業は進んでいない。歌ものをオケまで作って持っていくつもりだが後数日で期日である。しかし、いくら手と頭を動かしても納得のいくメロディなど出ないもんは出ない。明日も作業か...無職なのに妙に忙しい。

雑記

・近況

 

 昨日、暇を潰しにイオンの中華料理屋に行った。金もないので一杯のビールをエビチリをつまみに飲んで店を出た。もう少し飲みたかったので帰り道に成城石井でシューマイとストロングゼロを買ってから家に戻った。成城石井の惣菜は良い食材で作られていると評判なのだが悪くはないかなというくらいの味だった。たまにスポンジみたいにすかすかの安っぽいシューマイが弁当なんかに入っていることがあって腹が立つ。さすがに成城石井のものはそんなことはなかった。一緒にストロングゼロを飲んだがあまり酔えなかった。これは酔わずして飲むのは困難な飲み物だと確認。ただ眠気だけが訪れて来たので逆らわず着替えもせず眠りについた。

 朝起きて、下らない内容のブログを他サイトで更新した。最近、文章を書いているときは夢中になれることに気づいた。どうも今まで言葉を扱うことが苦手だったけれどコツを掴みつつある。幸福論でお馴染みのアランが散文は書きながら考えると言っていたが、自分にもそれができつつあると実感している。ちなみに僕はスマホで全ての文章を打っている。スマホならリラックスした姿勢で作業できるので頭の中もうまく整理されていくんじゃないかと思っているがどうだろう。対して、椅子に座って作業をする音楽製作は緊張感も強いし疲労度も大きい。スマホアプリの音楽製作ソフトは今のところどれもPC版のものには及びようもない操作性なので、寝ながら作曲はまだまだ先の話しになりそうだ。

 上記のブログを更新した後はやる気が起きず寝ながら時が過ぎるのを待つ。精神科で就活の進捗を報告する際の言い訳を練らねばならないと頭の片隅で気にかけるもそれすら実行には至らない。

 日が落ちてから、赤身の肉を買いに出掛けた。なぜ赤身肉かというと、赤身肉には精神を安定させ抑うつを和らげる作用がある、らしいからだ。安いオーストラリア産の牛肉を買ってきてフライパンで焼いた。ガジガジと焼いた肉を噛んでは飲み込んだ。旨くはないけど食べごたえがあり満足感を覚えた。安い肉ほど効きそうな気がする。良薬口に苦しだからだ。

 

・へんたつ

 

 けもフレたつき監督が作った2分ほどのアニメーション動画『へんたつ』を見た。内容はというと女の子二人が喫茶店でお茶を飲みながら会話するだけのもの。カットはほぼ長回し。しかし、その会話は自然体を意識した抑揚ながらもいわゆるアニメ声で展開されるというところに新鮮な感じを受けた。会話の内容もとりとめがないがテンポや雰囲気が逸脱しないようかなり抑えられている印象。女の子たちの自然な会話、というタランティーノがデスプルーフinグラインドハウスでやったような試みをアニメに持ち込もうとしているのだろうか。僕はこの動画から、たつき監督の才能に疑いがないことを見いだしたけどみんなはどう感じただろうか。今回、たつき監督は、はっきりいってタランティーノより上手くやっていると思った。彼がアニメーションでやりたいことは正しいし、アニメだからこそもっとも良く表現できるものだと思う。声優(中の人)を無機質な3Dモデルが演じる。ヴァーチャルユーチューバーに通じる新時代の表現をたつき監督は見ているのだ。

孤独を求めて中津川に

 先日、気分をリフレッシュするために小旅行に行きました。元々僕は極端なインドア派なので、旅行という行為自体好きではないのですが、その僕が突然一人で旅に出たのは、おそらく精神的ストレスが限界に達しようとしていたのを自ら無意識に感じ取っていたためでしょう。

 行き先は岐阜県中津川市でした。実はこの町には一度、小学生の時に学年全体が参加する学校の自然体験合宿で訪れたことがあります。当時は行きたくもないのに参加をさせれてとても嫌な思いをしました。ですから中津川はあまり僕にとっていいイメージのある町ではなかったのです。それなのになぜこのような苦い思い出が眠る場所を行き先に選んだのかといいますと、それはやはりあれです。リベンジです。アベンジャーです。大人になった僕にはもう怖いものなんてないのです。当時と違って自由にホテルの自販機で酒だって買えます。好きでもない連中と風呂に入ったり、枕を並べて一緒に眠る必要もないのです。そう、僕は中津川のホテルで酒をかっ喰らいスマホでエロ動画を見ながら寝ることで、当時のツライ思い出、そして親の仇より憎い集団行動という文化に引導を渡すことができるのです。まぁブログなので大げさに書きましたが、中津川は家からもそう遠くないし静かそうでいいかな、と思ったのも理由の1つです。

 では、旅行当日のことを話したいと思います。ホテルの予約(素泊まり)を前日にし終え、当日にコンビニでお菓子やパンを買い込んだ僕は駅に向かいました。実は中津川は僕の住む町から県外にあるのですが最寄りの駅から電車1本で着いてしまいます。うとうとしながら電車に揺られていた僕は気がついたら終点の中津川駅にいました。でもいいんです、これで。電車の中なんて自分以外にも乗客がいて意識明瞭ならイライラするだけなんですから。僕はとにかく独りになりたいのです。

 電車を降りてホテルへの送迎バスに乗ります。レツゴー。しかしこのバスの運転手、意外と山道を飛ばします。僕は平静を装いながら、貴様が間違ってガードレールを突き破って落ちたら、このどこか知らんど田舎の山道の谷底に転がっていくんやぞと、心のなかで運転手につめよります。しかし僕の心とは裏腹にアクセルをベタ踏みし続けた運転手です。でもまぁ、一応無事にホテルへ僕と同乗していたもう一人のおじさんを届けてくれました。

 チェックインです。実は一人でホテルに泊まるのは初めてです。ラブホに一人で入ったことはありますが自動精算だったのでノーカンということにしておきます。受付の男性は丁寧に館内の設備などを教えてくれました。マニュアルなのでしょう。同じことが部屋にある冊子にも書いてあります。説明を真面目に聞かなくても同じことでした。いや、そんなことより誰もいない部屋に僕独りです。いいですなぁ、独りは。一人でいて辛いのは女連れの男を見るときだけです。女を連れて歩く優越感のほかに一人の良さに敵うものはないのです。その一時の優越感のために男は人生をかけて競いあってるんだから競争を降りた僕からすれば噴飯ものです。まぁ、多分向こうも同じように僕を見ているでしょうが。

 ホテルを出て周囲の遊歩道を歩きます。素晴らしい。ランニングしてる女性が一人いるのみです。川が流れているのですが水も僕の町とは比べられないほど澄んでいます。
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その時、もしかしてここに住めばこの幸せな気持ちを一生味わえるんじゃないの?との期待が頭をよぎります。しかし僕もバカではありません。田舎の濃密な人間関係に付き合えるスキルなど僕は持ち合わせていないことくらいわかっているのですよ。ふっ。いつでも電車で来ればいいんです。田舎なんて。

 部屋に戻り館内の自販機で酒を買い飲みます。平日の昼間に旅行先で酒を喰らう無職ほど反社会的な勢力がいるでしょうか。飲みながら、思い出、社会システム、将来への不安、全てに絶縁状を叩きつけます。俺は自由だ。客観的に見るとたかが小旅行でここまで調子に乗れる僕も安い男です。

 館内を見回って気づいたのですが、このホテルには居酒屋があります。
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僕は思いました。このチープさスナックヤマトではないかと。
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結局行きませんでした。ラーメンなど軽食が食べられるようです。どんな味か気になる。ただ期待したらダメな感じはすごいしました。

 まあこんな感じでこの後お風呂に入って寝ました。そして朝起きてまた散歩して、バスで峠を攻めて帰路に着きました。中津川には馬籠という江戸時代の風情を残したフォトジェニックな町もあったのですが僕の目的は静養だったので、今回はパスしました。いやぁそれにしてもあの誰もいないホテルの周囲の散策路。こーいうのでいいんだよってやつだね。一人になれて大満足の小旅行でしたよ。一人で旅行に出るのは初めてだったけど、これを期にさらなる孤独を求めて旅に出たい、中津川はそう思わせてくれました。結局リベンジっていうか、殴りあった後疲れ果てて二人ならんで空を見上げてる、そんな感じになりました。まぁ、いいや。リベンジとか適当に言っただけだし。それではまた。