2018/09/16日記など
日記
久々に天気が良い。例によって川原に散歩に行く。
あっついので橋の下に避難する。アンダーザブリッジ。sometimes I feel like a don't have a partner〜♪
鼻歌交じりに普段飲まない甘いコーヒーなど飲む。
逆光。
川原を歩いていると若い男が上半身裸で体を焼いているのに気付いた。彼はなぜか車道の脇に裸になって立っていた。
お前なんやねん。
謎の野郎を尻目に僕は暑い中フラフラと家に帰った。
家に帰ってきてこれまたおなじみクソDTM作業。終わらない。才能が無い。やる気が無い。うーわー。
そうこうして一日が終わる。
世の中金なのよ
言われたことが無いけど、あなたの全てを愛していると言われても信用できない。なぜなら愛は対象となる人の変化(老いなど)による影響を受けるからだ。しかしその人が金を持っているからその人を愛するのだというと話は別。短絡的な考えだが金がある限りその愛は不変の筈だ。金持ちになって金目当ての女と暮らせれたらいいなと思う。世間の言うほんとの愛ほど脆いのだよ、多分。
橋から飛び降り自殺しようとする人に、どんな言葉をかけるのか
本当かどうかは不明だけど哲学者のアランがかつて哲学の試験問題としてこの問を出したようだ。
一応ソース
カミュは『シーシュポスの神話』で真に重要な哲学上の問題は自殺についてだと言った。こちらは有名。
上記のような問を出したということは当然アランもカミュ同様、自殺が重要なテーマであるとしていたのだろう。
ところでこのアランの問はどういった趣旨があるのだろうか?単に人生について「あるべきか、あらざるべきか」的な問題ではないのは明白だ。
自殺する人に向かって声をかけるとき、人は今までの人生で得た経験と知識をもって自分の信ずることを語り少なくとも誠実に望まなければならない。もちろん他人の経験と知識で人が自殺を思いとどまるとは言えないが、こういった姿勢は誠実さの一部であるとも言える。
誠実さ。これがこの問の要素の一つだ。
だが誠実さに点数を付けることがあるだろうか?そう考えると違うかもしれない。
他はなんだろう?アランの哲学観も関連しているという見方もできる。アランはモラリストである。つまり人間の精神、生き方についてを求める人なのだ。だから彼は哲学も人間の精神、生き方に応用できなければ意味がないと考えたのかもしれない。そこで人間の究極的な状況を前提に問を出したと言う訳だ。
僕が考えたのはこれくらい。ただアランがこのテストに点数を付けたかどうかはわからない。なんとなくこのテストに関して落第は無さそうな気がする。仮に哲学的側面からではなく自分の感情から出た言葉だけで語りかけたとしても、それがその人の哲学を学んだ上での答えだということが伝われば多分合格だろう。
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らしい。
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うなぎ
盛り上がりつつもだんだん眠くなってきて、最後で完全に落ちるコレクション。嫌なことは寝て忘れよう。