今日も歩く

晴天。

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歩く。

河原のベンチに座りスマホゾンビランドサガを見る。

飽きる。

歩く。

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木。

歩きながらイヤホンでアニメの音声だけ聞く。

よしながふみ原作の西洋骨董洋菓子店

昔、椎名桔平主演でドラマになったやつのアニメ版だ。

原作の漫画も好きですでに読んでいる。

よしながふみで一番好きなのはフラワーオブライフ

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オタクの彼が「馬鹿だから漢字は書けないけど凌辱という漢字なら書ける」と言い出したところで笑ってしまう。

しかしよしながふみが描く親子関係というのはリアルだ。

一見問題なさそうに見え、息子にも優しく接する上位中産階級の両親との静かな葛藤。よしなが氏も慶応出だしわりかしこういう感じの両親に思うところがあるんだろか。

西洋骨董洋菓子店でもそこらへんは描かれている。

一流の商社勤めを辞めた主人公。脱サラをしてケーキ屋を始めると両親に伝えると、母親はわずかに戸惑いを見せるもすんなりと受け入れてしまう。父親も同様で息子を応援することを表明し一流のパティシエを呼んでやるとまで言う。主人公は感謝をもってその反応を受け入れるも内心ではその異様さを自覚している。しかしこういった関係は共依存的だ。お前の自由にやりなさいと言いながら息子を自分たちの元へ繫ぎとめる両親と直接それに抗えない息子。息子はこの家族関係に葛藤を抱き続ける。

わかる。

 

歩く。

 

ガストに着く。

肉肉セットみたいなのを頼む。

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手抜き絵日記。

ハンバーグ、焼き肉、ヒレカツが鉄板にのっている。

途中で横に2~30台の男が横に座る。3分に一回くらいドリンクバーに行っては飲み物を汲んで戻ってくるを繰り返す。座ってられないタイプのぼーやなのだろう。

 

ていうか絵なんだけど子供の頃からのくせでわき腹から腕を生やしてしまった。これがいまだに直っていないあたりが恐ろしい。

 

先日描いたイラスト。

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3Dモデルを見て描いた。なんか違う。なぜ傾かせたし。

今日日、虹裏発祥のosたんのイラストを描いてその画像をブログに貼っている男は僕くらいのもんだ。

 

今日も生存しました。ありがとうございます!

ままぁ~~ううう~~

最近したこと

 

映画を見たよ

僕は流行りものに興味のないキャラで通しているけど、巷の評判の良さに負けて『ボヘミアンラプソディー』を見たよ。

正直、クイーンというバンドは今まで特に好んで聞いてきたたわけではなかった。クイーンは時代によって色々なジャンルを彼らなりに取り込もうとしてきたバンドだが、そこには一貫したリズムがある。その不変のリズムの大部分を担っているのがロジャー・テイラーだ。これは映画を見ていればわかるが、彼はかたくななまでに8ビートに固執するのだ。つまり直線的なドラムだ。ハイハットを8分で刻んでいても普通ドラマーなら癖みたいな感じでゴーストノートぽく16分のスネアを入れたりしてノリを作るのだが、ロジャー・テイラーはそんなことはしない。確か映画ではディスコ調の曲をクイーンでやろうとしていた時彼がそれに反対していたように思う。でもそんなときベーシストがとてもいいリフを弾き出して結果完成したのがAnother One Bites the Dustという曲であったという話だが、ここでもロジャー・テイラーはディスコなんかには媚びない。ブライアン・メイは合間にファンク風のカッティングを入れているのだがドラムはずーっと規則的なビートの繰り返し。しかしそれがこの曲を唯一無二のダンスミュージックにしたのだ。

この曲にはいつものクイーンが得意とするコーラスワークが封印されている。基本的に演奏はドラムとベースのみ。たまにギターにエフェクトをかけてシンセ風にした音が入るか、きまぐれにブライアンが控え目に参加してくるというかなりシンプルな演奏だ。これには引き算の美学的なものを感じるね。この曲個人的にかなり好き。

どうでもいいことを話してしまったけど映画自体はとても感動できるのでお勧めです。

劇場では、フレディがんばえー!と心の中で泣き叫びながら応援しましょう。

 

パスタを茹でる

今日はパスタを茹でて食べた。

いつものことだけど、乾麺のパスタを袋から一食分取り出すとき、手につかんだパスタの束を見て、これじゃさすがに足りないよなと思い量を増やす。しかしゆであがった時に、初めに掴んだパスタの量が適量であったことに気づく。今日も山盛りのパスタをなんとかお腹に収めた。なぜ人はパスタを甘く見るのか。パスタなら食えるなんてのはひどい間違いだ。育ち盛りじゃないんだぞ。学習しろや。

 

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syamuさんが復帰した

ネットでネタにされ続けてきた伝説のyoutuberであるsyamuさんがツイッターで書き込みをし、ラジオ配信をした。

多分今オフ会やったら百万単位で儲かるんだろうな。

また元気に配信をして、ナチュラルに人を見下しながら根拠のない自信を披露してもらいたいもんだ。

syamuさん、すこだ...

ジョジョの奇妙な歌詞

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風を少しずつ見ているのだがオープニング曲の歌詞の一部が「ファイティンコーーーー」に聞こえるのが非常に気になる。ググったら結構みんな気になっているらしい。

この曲は、作詞 - 及川眠子 / 作曲・編曲 - 大森俊之 というエヴァンゲリオンで有名な二人が手掛けている。さすがの及川眠子もFighting Goldがファイティンコに聞こえるのは予測できなかったのだろう。ていうかプロデューサは録音時に気が付かなかったのだろうか。もはや後の祭りだ。

 

エンディング曲は英語詞の90年代っぽいR&B。イタリアのマフィアの若者たちの話なのになんか曲がかみ合わないね。opは少年漫画っぽ過ぎるしedは意図が判然としない。

内容はかなり原作に準拠してる感じがある。でも僕は原作がナレーションを多用しているからといってそのままナレーションをアニメ演出として使うのは好きじゃない。ナレーションなしでも映像だけで別にわかることのほうが多いし。

多分映像化ってこうして何をしても批判される運命にあるのだろう。

そう思うと別に悪いアニメではない。うん。

 

ペンタブ

ペンタブを出してきて絵を描いた。このまま練習を続けていつか漫画を描きたい。

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これは模写。言うまでもなく右が僕が書いたやつ。

意外と色を選ぶのって難しいよね。ギャルゲ塗りを極めたい。線の引き方もマスターせねば。

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こたつ。ググって出てきた画像を参考にして描いた。何かを参考にしてほとんどそれを描き写す感じじゃないととても絵なんて描けない。

ていうか人の写真を参考にして許されるレベルってどんな感じだろう。

多分上手い人はそこらへんをトレスやパクリにならない感じでうまく仕上げることができるのだろう。

 

 

 

以上

どうでもいいこと色々

亀レースの衝撃

モヤモヤさまぁ~ずという番組で芸人のさまぁ~ず一行が伊豆の動物園に行った企画があった。そこでは亀が競争をするイベントが行われており、見物客はどの亀が勝つかを予想し的中させることで景品が貰えることになっていた。そこで番組の出演者たちは各々その予想に参加することにした。そしてレースが始まったのだが、今まで出演者達にかなり冷めた態度をとっていたそのレースの進行役の人が、まさに人が変わったかのようにレースの実況を快活にこなし始めたのだ。さまぁ~ず達もこれには流石に驚いたようだった。見ていた僕も驚いた。レース後、彼らはその実況者の男性に再び話しかけに行ったのだがやはりなんだかお喋りには気が乗らない様子。仕事になるとスイッチが入る感じらしい。

ユーチューブで動画を確認したところマツコの番組に出ていたカメ司会者氏の動画があった。彼はインタビューを受けていたが、さまぁ~ずの時より気さくに話していた。話し方はかなりゆっくりしていたけれど。彼はのんびり屋の亀さんが一生懸命やってるのを見るのが好きらしい。テレビカメラの前で自然に亀さんなんて言ってしまうのがカワイイ。彼は今日も亀を実況し子供を笑顔にしているのだろうか。

 

働かないで食う飯は美味いか?

元ネタは判然としないがネットでよく言う言い回し。

派生系として、主にHIKAKINに対して言う「子供を笑顔にして食う飯は美味いか?」などがある。

Twitterではこのミームを元にして、高須克弥氏に対し「ちんこの皮を切って食う飯は美味いか?」とリプライを送った人がかつていた。マジレスすれば、高須氏のクリニックでは確かに包茎手術もやっているだろうけど別にそれだけではない。でも上手いこと言ってるなと思って結構笑ってしまった。他の人もウケていた。

子供を笑顔にして食う飯。大概こういう仕事は笑顔を得る為にその人が自分自身を犠牲にしなければならない事が多いが、その点でヒカキンは奇跡的なモデルだ。傷つけないし、自分も傷つかない。苦労はあるだろうが、どこか気負わないところがある。昔の偉い芸人なんかだと人を笑わせるためには幸福になっちゃいかん云々なんて言うけど、ヒカキンは幸福そうに見える。そして子供を笑わせている。僕はそこに好感を持つ。伊藤忠の三方良しみたいだ。そんなもんかつて実在はしなかったがヒカキンはそれを地で行く奇跡なのである。


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ルフレジでの敗北(何回目か忘れた)

先日ツタヤでセルフレジを使ったが、DVDケースの鍵が説明を見ても全く開けることが出来なかった。ちなみに前も分からなくて店員に聞いた。しかしその方法も時がたって忘れてしまった。結局また店員に聞くのも流石に失神KO並の完敗なのでやめた。結局DVDはそっと返却ボックスに入れた。もう二度とツタヤでは借りないだろう。

その前にはイオンのセルフレジを使った。説明を見ても分からなくて適当にやっていたら店員が助けに来てくれた。どうやら僕は本来とは反対の方向にかごを置き操作していたらしい。

ルフレジは本当に複雑だ。カゴを置く場所も決められているし、最期に重量を測るためにまたカゴを別の台に移動しなければならない。そして決められた段階で買い物バッグを所定の引っ掛けスペースにかけさらにタッチパネルを操作し全ての商品を確実にバッグに詰めなければならない。しかもこの引っ掛けるところがどこか説明を見てもよくわからなかったりと来る。そしてどんどん焦るわけだ。

とにかく、店側はこの説明の箇所を全く人に理解させる気がないように思う。直感的に人に理解させるユーザビリティみたいなものが一切欠落している、いかにも日本的な構図とデザインと思考がこの説明の張り紙にはあるように思う。これはイオンに限ったことではない。どこのセルフレジも全く理解不能だ。

なぜ店員の人がやっているシンプルなレジ処理をさせてもらえないのだろうか。万引き対策なのか?確かにセルフレジの導入によって万引きが増えたという統計が海外であるらしい。そうかじゃあ仕方ないな。あきらめよう。万引きは良くない。

ルフレジは僕のようなクソアホロボットには高等すぎるのだ。

 

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泣けるアニメ

今更、京都アニメーションのアニメAIRを見返した。懐かしい。PS2版をやったのが14〜5年前だ。当時はあまり好きでは無かった話が今見ると逆に印象に残る形になった。

あらすじはこんな感じ。

ある女の子がいつも仲良くしていた年下の女の子がいた。毎日、人気の無い廃駅の前で彼女たちは遊んでいた。年上の女の子は多分薄々感づいていたのだろうが、実は年下の女の子の方はこの世の人間ではなかった。その正体は、かつて年上の方の女の子の母親が流産した自分の妹となるはずの子が幻想となって現れたものだった。妹の方は当然自分がこの世に留まるべき存在では無いと理解しており、そろそろ姉に別れを告げその夢から彼女を目覚めさせなければないと語る。結果、姿を消す前に姉にしっかりと別れを告げ、妹の幻想は消え去っていった。その後、姉は離婚した父の元を訪れる。そこには父とその新たな妻との間に生まれた子どもがいた。話しかけるお姉ちゃんの方。

 

「シャボン玉、好き?」

「うん!大好き!でもねでもね上手く膨らまないの…」

「じゃあお姉ちゃんが教えてあげようか」

「ほんとう?」

「ええ。お友達になりましょう。わたしは美凪。あなたのお名前は?」

「あのね!あのね!」

 

台詞はここで終わり、物語もここで終わる。

このシーンが本当に好き。話かけるお姉ちゃんの穏やかな口調がこの物語の救いを象徴している。

文字だと分からないけどこの本当の妹の方は消えた幻想の子と姿も声も同じ。そこまで見せといて最後に名前までは言わないってのは中途半端な感じもあるけどそれも良し!

本筋の話の方は悲しい結末を迎えちゃうんだけど、そのせいで余計良かったねと感動してしまった。

うっうっ(:_;)


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自分の言っていることが全て見透かされているような感覚

人は皆、僕が語る言葉の裏を読もうとしているのではないかと感じてしまう。例えば、お前本当嫌だって言っているけど別に嫌いじゃないんだろうと思われたり、ことさらに僕の発言の裏に無意識や願望を見つけようとされたりしているのではないかという疑念が強く感じられる。つまり、僕の言っていることが全く信用されていないのでは無いかと僕は常々思っている。

信用されていないのに頑張って思いを伝えても傷つくだけなので黙っている方がましだが、やはり他者の理解を得たい事は多い。

この点で心理学などはかなり絶望的だ。治療目的なら別だが、何を言ってもそれは君の無意識が根底にあってだねと紋切り型な見方に押し込められてはなんと反論しようと暖簾に腕押しだ。

しかし、人の発言を字義通り捉えるということは普通はしない。それがお世辞であるとか社交辞令であるとかといった判断は通常されてしかるべきだ。

このことから、こういった日常的な判断や疑いをあらゆる会話において援用し、みなが自分なりの解釈を得ようとするのは当然であるのかもしれない。

化物語に出てくる貝木泥舟は、俺を疑うのは酷く正しいといった。そうかもしれない。人を疑うのは恥でも卑怯でも無く当然のことなのだ。

僕の言うこともやはり疑われて当然なのだ。

こいつは威勢がいいことを言うが臆病な心がそうさせているだけだとか、悲観しながら希望を持っているとか、あらゆる解釈が真実として僕と対面した人たちにあるのだろう。

自分自身の問題の評価を全て他者に委ねている人もたまにいる。その人はある意味で潔い。自分で自分のことを見るのは不可能だと判断しているのだ。無意識は意識できないから。

でもこうなると自分とは一体何なのかということになる。自分の欲望も不満も自分では何も分からないまま、全て心理学や他人が決めた当座の解釈を受け入れることで人は自分を保てるのだろうか。

僕は自分が一番だと思っているので、自分の事は自分の思ったことだけが真実だと捉えている。僕の言ったことや書いたこと以上の事は何もないと言いたい。しかし思えば人と話すときはほぼ嘘しか言っていない気がする。本気で人を相手にしていないのだ。これまた化物語の撫子と同じだね。

面白いのは僕が適当に言っていることのほうがみんな納得してるように感じられる点だ。そうした反応が余計に他者への不信感に拍車をかける。

たまには本気で人と話してみたいなと思って、頭の中でいろんな人と会話をするんだけどそれもうまく行かない。結局自分への疑いに疑いを重ねていくことになるからだ。

例えば今回の話でも、お前が信用されていないと疑うのはお前が人を信用していないことの裏返しだろうがなどと何度も思考に対して反駁をしていく。でもそんなことを自分でどこまで続ければいいのか分からない。やはり心理的なことは他人頼りになりがちなのだ。

安易に自己の心理を自分で掘り下げてそれを免罪符のようにチラつかせるのは不純なことだと思う。直感的にそう感じる。

心理的なことは他人の解釈に任せるとしたら自分では他に何を見つけることができる?

人はこうして宗教に走るのだろうか。あるいは哲学か。

シモーヌ・ヴェイユは真空だと言った。空っぽになった身体に恩寵がやってくるのだと。恩寵がなんなのか、内なる神か恍惚か啓示か悟りかまた別のものかは分からないが、この全て何も無くなった所で理解があるという感覚はよく分かる。否定や肯定で生まれるものじゃない何かがある気がするんだよなぁ。

何も無いってのがあるのかな。

こう言うとそれっぽくも安っぽくもある…

jojiというアーティストの曲が良い


Joji - ATTENTION (Official Audio)

 

歌詞も良い


I thought I'd vocalize my troubles, but nobody will listen
I know I'm cryptic and I'm weird, that shit comes off as indifferent
I don't wanna die so young
Got so much to do
I don't smile for the camera
Only smile for you
Smile for you

 

和訳

自分の問題を歌にしようと思ったんだけど、誰も聞かないだろうな

自分が無関心を装ったクソで、わけが分かんなくて変な奴だってのはわかってるんだ

そんなに早く死にたくない

やる事が沢山ある

僕はカメラに向かって笑ったりしない

僕が微笑むのは君にだけ

君のために笑うんだ

 

あーんこういう歌詞!!好き!!オネエ言葉になるくらい好き!!

一応この曲、ジャンルとしてはローファイヒップホップらしい

でもそんなに激しくなくて聞きやすいよね

実はこれを歌っている人、実はpink guyって名乗って滅茶苦茶ふざけた歌も歌ってた過去があるんだよ


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スベってるでしょ

でもこの時の曲もほんとセンスがいいんだ

youtubeには若手の登竜門的ステージでもあるボイラールームでの動画もある

こういう人が認められていると嬉しい

センスの塊だ

最近僕は、i don't wanna die so youngの一節をずっと口ずさんでる

僕もまだ作ってない曲があるから死にたくない

この人もそうだろうか

 

全然痩せない

減らんな

食べている量は減らしているのになぜか。

お菓子も食べていないけど〜。


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神よ、僕はメイド服を可愛く着こなしたいだけなんだ!

処方薬を飲んでいるが体重増加の副作用が出ているのか?

この副作用の発現率は3.1%らしい。

うーむ🤔

薬の副作用による体重増加には運動しか無いみたいだ。いーやーだー。しかし、やるしかないのか。

 

日記

エアコンから熱風が出るようになってしまった。10年は使ったのでエアコンもそろそろレストインピースさせるべきだろう。機械が壊れるのは実に悲しい。しかしこのエアコン急に空気を汚染しだした。多分死臭を放っているのだろう。

エアコンを電気屋に見に行ってから久々にギターを弾いた。調子に乗って作業中の曲にヘロヘロなギターソロ入れた。敢えてね。バラードにギターソロって90年代だよなぁ。最近jpopでもメロディアスなギターソロは聞かなくなった。逆に増えたのはアルペジオ。その流れに逆行してみた。間奏にメロディは入れない時代。そんなことするのは今日びアニソンくらい。マツコデラックスはアニソンをヒップホップ的と捉えていたらしいが慧眼だ。形式という型に嵌めたがるのがアニソン。そこに安心感があんだろうね。

 

kamoe sanoというトラックメイカ


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大好きなんだよ。彼(彼女)は音ゲーなんかによく楽曲を提供してる作曲家だ。

Zedd - Clarity (feat. Foxes) (kamome sano remix) - YouTube

zeddの曲のリミックス。なんて可愛いリミックスなんだ!!ドラムンでエモい曲なんてこの世で一番愛おしいものではないか!

ちなみにこの人の曲はspotifyにもあるんだけどそっちはフュージョン寄りでまた面白い。幅広く作れるのがカッコいい。実物を見たい。名古屋にDJやりに来ないかなぁ〜。

 

ツイッターに書いた小ネタ

 

・鳥の心臓を食べたい

 

 ハツ

 

・siriana experiments pain

 

  知る人ぞ知る名作アニメ

 

・郵便箱を開けるのがなんか怖い

 

 実際はビクビクしながら開けても不動産営業のチラシしか入ってない

 

カモミールティーはあれの匂いがする(個人の感想)

 

 飲めないわけではない。

 

 

 

 

 

おやすみなさいませ。

アポロ11号は月へ行ったっていうのに

僕は家で寝ながら全長40cmのさけるグミを食べている。

砂糖の塊みたいな味で泣きそうになる。
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お菓子を食べといてなんだけど、ダイエットを始めた。


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今70kg。身長175cmなのでまだ肥満とは言わないが痩せてるとも言わない。とりあえ63kgを目標にやる。レツゴー

 

ネットの記事で目にしたが清原和博が職質を受けて薬物検査をされたらしいが、潔白であったようだ。こういう時、職務質問により権利侵害を受けた無実の人間には基本的になんの補償も無い。一方的に人を疑い、任意と協力の名の下に身体検査をして、結果何も出なくても警察側はリスクを負わないのである。いつもこのことを不公平に思う。

この不公平による市民の不満をどう解消したらよいか。

僕が考えたのは職質に協力した人に警察が記念品を贈呈するという方法だ。例えば職質1回で職質缶バッジ一枚とか。それで5枚貯めるとI♡職質Tシャツ進呈という平和的解決方法。みんなインスタ映え狙いで快く協力してくれるよ、多分。職質ジャンパー貰った奴なんかはもう英雄だろうね。空耳アワーみたいになかなか貰えない。

みんなジャンパー欲しいからってワザとスラックスにダンロップのスニーカー履いちゃったりしてね。それが今年の流行りだ!なんて話題になったりしちゃつてね。それで池袋なんかもう競艇場みたいになったりしちゃってね。警察ももう分けわかんなくなって、お前それはダンロップじゃなくてスポルディングだろ!逮捕だ!なんて言っちゃったりしてね。馬鹿野郎!!また来週〜

 

ああ〜くだらね〜

 

話は変わる

 

最近ストゼロ系の強いチューハイが流行ってる。それで思ったんだけど、ストゼロ飲む女性って魅力的なんですよ。ストゼロってただ快楽を求めて飲む酒じゃないですか。だから多分ストゼロ女子って快楽主義者なんですよ(雑な論理)。で僕はそれを見て、あぁ、この女も快楽を貪るんだ、ふーん。みたいな感じになるわけ。ネット記事によると、吉澤ひとみ上坂すみれもストゼロ女子。こいつらもみんなただ一瞬の快楽に身を委ねて気持ち良くなりただけなんだぜ。何が言いたいかっていうと、ストゼロっていうのは一種の告白だっていうこと。限りなく透明に近いブルーの登場人物は乱交ばっかりしてたけど、今の連中はストゼロで飲み会の時代。ヒッピーは性的な放埓、ゆとり世代合法ドラッグで緩慢な自殺。快楽は時代を映してる。ま、そういうことだ。

 

 

 

 

寝まーす(^o^)/

【元電気グルーヴ 砂原良徳の小学校の卒業文集】


「たきの自然学園の思い出」砂原良徳

ぼくは、この学校に6年間いて、いちばん楽しかったことは、たきのでのオリエンテーリングです。
オリエンテーリングは、雨でした。
で、先生が、トランシーバーでれんらくをとっても、通じなかったので、出発いたしました
最初、1ポイントでは、1班が早くいこうといって走っていったです。
1ポイントでは、ヤマトの歌を歌うんでした。
1番をうたっていたら、3班がいたから、2番もうたえよといって走っていきました。
ぼくは、歩いていると、おかしいなと思いました。
2ポイントの次が、4ポイントだったので、ぼくは、道に迷ってしまった。
ぼくは、班長だったので、どうようと思ったけど、班のみんながいっしょだったので、歩いていた、ダンプカーにのったおじさんに、
たきの自然学園に行く道は、この道でいのでしょうか?などと聞きながら自然学園ついたときは、とってもうれしかった。
班のひとが水たまりにおちたりして、
たすけあいながら中学校へ入っていきたいと思います。

http://copipe.cureblack.com/c/5120

 

伝説。将来の夢が「立派なサーモンになりたい」なのもまたいい。元気が出る文章。

 

前に見たサイト

前にスマホで見たサイトが思い出せない。なんか世界の終焉を2chネラーが実況してるみたいな内容で、フラッシュ動画のように勝手に動いて画面に上記の光景が描き出されていた。また見たい。面白いよねこういうの。

 

サイコパス

サイコパスの奴が怖い。最近はあらゆる権力者がサイコパスに見える。しかもそういう人がどんなに常識がなく嘘をついて言行不一致でも結構みんなに支持されていたりするからまた怖い。

サイコパスというとザ・コーポレーションという映画がある。この映画では企業を一つの人格とみなして精神疾患の診断をしたのだが、結果的に企業はサイコパス性が強いと判断されたらしい。まあそうだろう。

ナイトクローラーなんかも同じくサイコパスにアプローチした映画だ。主人公は個人事業主だがやってることは営利企業の利益追求そのもの。暴力、嘘、誘惑、自作自演…

映画はそれらを誇張してみせたが、一般的な人間も日常的にそれらの行為に加担しているのだ。

結局のところ資本主義そのものがサイコパスの温床なのだから逃げ場はない。

 

ツイッター発達障害界隈から始まる自分語り

ツイッターには発達障害界隈がある。眺めていると、なんだか生きづらいもの同士で集まっていつもやいやいやってて楽しそうである。

しかしおそらくはこういった発達障害者達の輪の中に入れない発達障害者という人達もなかには多くいるだろう。仮に僕が発達障害者でありながらそのコミュニティに馴染めなかったり受け入れてもらえなかったりしたら、死ぬほど恨むこと間違いない。関係のないコミュニティを見てそんな妄想をした。

出来上がったコミュニティに入っていってそれなりの地位を占める奴はとんでもない才能だ。そういうスキルはネット上であるか否かを問わずよく必要とされるから困ったもんだ。

僕はツイッターにしてもなんにしても自分と関連のある界隈の人から無視されると腹が立ってしょうがない。腹が立つのはまだいいのだが、僕がいけないのは人に拒否されるたび同じ事を他人にもするようになってしまったことだ。つまり、違う機会に別の他人を拒否してやって仕返しした気分になり溜飲を下げる。残念な奴だな〜。虐待を受けた子供がさらに自分の子供に虐待を繰り返す構図。

これはネットだけに限らない。例えば自分の隣にだけ誰も座らないということがある。その時、他者に拒否されていると感じる。そこで僕はその仕返しのため、自分の隣に人が座ってきた折に即座にどくという行為に出る。こうしてこのニートは無関係の人間に当たるという卑劣な行為をし、ひいては社会を息苦しくし続けているのである。愛がない男。復習の連鎖(激ショボい)。ちなみにこのすぐ席を移動したり離れたりする行為は相手を見極めるのが重要だ。外国人ぽい人が相手だと明らかに差別っぽくなるのでそういう時はしない。障害者の場合も同様。

中島義道は、「お前らは他人を理解しろというが、お前らは俺のことを理解しようとしないじゃないか!」という怒りをよく書いているが僕にも同種の怒りがある。なぜ一方的に俺がお前たちに好意的にならなきゃいけないんだ!という感情だ。もちろん、そこから発する行動は中島と違うだろう。僕のやり方は子供じみている。どうしたものか。

慈悲の心を持つ…

これは他人を偉そうに眺めているかのようで好きではない。精神勝利法に逃げたくない。

愛…

愛を感じたことがない。自己愛だけ肥大しているな、お前。という指摘だけは当てはまるかもしれない。愛を知りたい。

 

もういい…

 

キモいことをいっぱい書いてやった。

今回はなかなかのウンコ度である。

点数は8/10くらい。

ブログ上でのウンコの見せ合いほどココロ踊るもんはない。なんならゴリラのようにウンコを投げあってもいいくらいだ。

 

 

スカトロマニアか。