どうでもいいこと

書きやすいボールペンが欲しい

 

たまに外に出た時に、用意されているボールペンで用紙に記入する機会がある。こういった時に使ったボールペンは家にあるものよりも良く書けて使いやすいことが多い。店や役所や郵便局にあるボールペンは何かが違うのだろうか。今までにジェットストリームやサラサを使ってきたが満足できた事はない。すごいボールペンで快適に字がかけたら気持ちが良いはずだ。すごいボールペンに出会える日が来るのを祈る(︶^︶)

 

お酒で失敗したらお酒のせいにしたらあかんのだろうか?

 

酒のせいにしたらいけないのが世間のルールらしい。酒さえ飲まなければこの人はこんな事しなかったかもしれないなぁとかこの人はどうしても酒を飲まざるを得なかったのかもなぁ、もしかして酒(アルコール依存症)が悪いんじゃない?だから罪を憎んで人を憎まずだよと言う人が一人くらいテレビに出てもいいんじゃないの。まあここまで言わなくてもいいとして、思考を停止してただ「酒のせいにはしてはいけないゲーム」を繰り返し続ける凡百の連中が気持ち悪い。なぜそう無神経に原因に目を向けず簡単に人を裁けるのだろうか?

 

僕もニコニコにボカロ曲あげたい

 

と思って今日は作業を進めた。どーせ普通にやっても相手にされないので、とことん恨みつらみを交えたアホな曲をアップしていきたい。しかしそれはそれで逃げてるというか卑怯なやり方であることは隠しきれない。本気で作ったモノを貶されるのが恐いからふざけるのだ。どうしようか…

ふざけるのが芸になってるミュージシャンってのも結構いるにはいる。多分岡崎体育もふざけなかったら有名にならなかっただろう。こういった有名なおふざけミュージシャンのように真面目に?ふざけるのはまだ格好がつくが、おふざけの裏に弱さが見え透いちゃったらやっぱり駄目だなぁ。

正統派でいくのは勇気がいる。でも全部ぶち壊したい気持ちも無くはないし、自己防衛的にふざけて不安を誤魔化したい気持ちもある。だから、ふざけるのもそれはそれで素直な気持ちとも言える。こういう素直な弱さがどこかで表現できているの

ならふざけてもいいのかなぁ。(~_~;)

好きな曲を語るコーナー

1 花ハ踊レヤいろはにほ

 


ハナヤマタ OPテーマ「花ハ踊レヤいろはにほ」(short ver.)

 

作詞:畑亜貴
作曲・編曲:田中秀和MONACA

 

すべてが完璧だよね、この曲。私的オールタイムベストアニソン第一位ですわ。アレンジのシンプルさも、歌詞もミックスも大好き。何より田中秀和の巧みな作曲上の技法。理論的に複雑でありながら聴感上シンプルに収めるのしゅごい。コード進行なんかに関しては散々語られてる曲だから詳細は控えるけど、やっぱり自分の色を出しながらも普遍性のある楽曲としてまとめ上げてるのって普通出来ない。やばいぜ田中秀和

 

2Cocoro Magical

 

作詞:カナボシ☆ツクモ

作曲・編曲:y0cie


『Tokyo 7th シスターズ』- Cocoro Magical

 

Tokyo 7th シスターズの曲。一曲目の花ハ踊レヤいろはにほとは違ってかなりにぎやかなアレンジ。これでもかってくらい音が詰め込まれてるね。作編曲はy0cie。この人はもともとEDMやサンプリングを多用した楽曲を作ってた人でもあるんだ。だからすごく電子音の使い方や細かい音の入れ方なんかに特徴があるね。今風のmassive的なリードやまさに隙間に音を詰め込んでいく形とか。一方でy0cieさんはそういう今っぽいところがありながら、この曲や「恋愛したいっ!」なんかに代表されるように王道を行くメロディもかく人なんだ。いい!こういうのいい!なんでもそつなくこなしつつ最新の音だとかやり方取り入れるのいい!

 

3 imoutoid - PRAT2, PART3

 


imoutoid - PRAT2, PART3

 

最後に紹介する曲は僕の大好きなimoutoidの楽曲。imoutoidという人は彼が十代のころから優れたクオリティのDTM作品をネット上に公開していたある種の伝説なんだ。エレクトロ音楽の鬼才。日本のaphex twinという人もいるくらいだ。この曲に関しても彼が16歳にして作ったもの。アニメ(ゲーム)、ダカーポの楽曲をサンプリングした全く新しい発想の曲。いまでは当たり前になったボーカルカットアップも取り入れながら、すごく斬新で瑞々しいリズムを構築している。ベースやコードバッキングのリズムなんかも16歳にして日本人離れしている。もうかなわないよね。

彼はブログも書いていたんだけど、読むとその作業力と楽曲制作における理解力に驚愕。例えばそのブログには、僕がわかる範囲で言うと、DAWのかなり込み入った機能の連携について書かれていたり、すごく短いティック単位でハンドクラップの音をいれてリズムを構築したり、和声進行の細かいところに気を配りながら繋ごうとする、目を見張るほどの彼の努力が打ち明けられていたりする。こんなこと十代の子が気にするのって感じのことばかりだ。ドラムのキックを一回USBメモリにコピーして使ったときの音の変化なんか書いていたのには笑うしかないけど。どんな耳なんだ。

加えて彼はプログラミングにおいてもその才能を発揮したのが驚きだ。SuperColliderを使った作曲に始まり、Reaktorによる開発にもかなり精通していたようだ。どちらも日本語のまともな解説テキストなんてないため、普通ならすこし理解しようとするだけでもかなり苦労するはずにもかかわらず。

本当に残念なのは彼が18歳にして亡くなったこと。生きていたら27歳。どんな面白い曲を書いてくれたのかとか、もしかしたらvstプラグインなんかの開発者になっていたのかもなんて空想しては悲しくなってしまう。しかし、きっと彼の楽曲の影響はこれからの音楽制作者に及んでいくはずだ。それだけ素晴らしいものを聞かせてくれたのだ。僕はこの人のことを語り継いでいきたい。

 

暖かくなってきた、から始まる自分語り

日中は長袖だと暑いくらいの気候になりましたね。なんだかこういった暖かさは人を活動的な気分にさせてくれます。僕は冬の間、寒さのために控えざるを得なかった旅行なんかしてみたくなってきました。何処に行くべきかなぁ。フェリーで北海道は予算がかかりすぎるし、やはり名古屋からだと長野や岐阜、金沢、三重なんかが手軽に行けていいのかもしれません。とはいえ実のところ、僕は観光名所に興味がないので泊まるところさえあればどこでもいいのかもしれませんね。

しかし一応自分にも苦手な場所があります。それは、主要な駅の周りに広がる繁華街です。昨日なんとなくこういった所をうろついていたんですが、なんだか現実味が無くて嫌な感じでしたね。繁華街を散策する人あるいは繁華街で働いている人、一人ひとりが映画の登場人物として自分の役を忠実に演じているみたいに見えて、僕はどこか解せない気持ちで歩いていました。単に馴れていないせいもあるでしょうが今後馴れることも難しそうです。都会こっわ。

好きな場所をあげるとすれば清潔で静かで特別じゃない場所ですかね。たとえばチェーンの喫茶店やファミレスです。小奇麗なステーキ屋や小さなスペースでやっている焼き鳥屋は特別な感じがして落ち着けないので入りません。なんでも楽しめたら刺激のある人生を送れるのでしょうが、ガストでハンバーグを食べることがあらゆる要素を総合的に考えて僕には1番快いことなのでこれ以上の冒険はしないでしょう。ちなみにデパートや百貨店に入っている店はだいたい入れます。不思議〜。あ、一番好きなのは漫画喫茶です。個室の。やっぱりネカフェだよ〜。実家以上に落ちつく。コーヒー飲み放題という言葉が与える安心感は聖母マリアの抱擁に匹敵しますね。

皆さんは落ち着く場所ってありますか?ホルモン焼き屋の熱気と喧騒が好きという方もいるかもしれませんね。こういったそれぞれが落ち着ける場所は日常生活の一種の避難所として大切にしていきたいものですね。

 

         以上で〜す(ー_ー)

 

土日だったね

土曜日はイオンに出掛けた。服屋に入った。しかし気が乗らなくて何も買わずに店を出た。時間を潰すために喫茶店に入ろうかとも思ったが並んでいたら馬鹿らしくなってやめた。どうしようか逡巡した結果、前から気になっていたメイドリフレに行くことにした。

電車に乗って目的地へ向かい、駅から出てそのリフレ店があるマンションに入った。怪しい。しかし怯まず入店した。

筆者が面倒くさくなってきたので詳細は省きます。可愛いメイドさんが手や足を揉んでくれました。メイドさんは僕のリスカ跡だらけの腕を見て、猫に引っかかれたみたいになってるのねと言いました。僕はうん、とだけ答えました。他にもいろいろ話したんですが、職業について聞かれたとき僕は働いていると嘘をつきました。あと他のお客さんがやたら、語尾ににゃんにゃんと付けていたのが聞こえてきたので、僕もにゃんにゃん言わなきゃいけないのか尋ねたところ、そんなことないと全力で否定されました。楽しみ方は自由らしいです。帰り際にコーヒーを淹れてくれたので飲んで店を出ました。

土曜日はこんな感じ。

で、今日は日曜日。DTM作業をした。完成していない曲が何曲もあるので色々手を出す。前に作ったメロディを聞いてみたけど気に入らないのでまた新しいのを作った。もしかしたらこれも気に入らなくなってボツになるのかもしれない。

今日作ったやつ。


melolo

 最近ニューソウル系のアメリカのバンド the Ineternetがお気に入りでそれっぽいのを作りたいと頑張っている。しかしうまくいかない。多分ヒップホップ的要素が鍵盤での作曲を妨げているのだ。今回のメロディもソウルっぽいアドリブ的要素が無くて眠たくなるだけだ。これじゃthe Internetではなくフィッシュマンズだ。作りたいものがうまくいかないと冷や汗が出るし気が狂うほど腹が立つ。でも本場の連中がこのメロディを演奏してくれたらやっぱりそれらしくなるんだろうか?それを確認する機会は一生訪れないだろうが気になる。日本人として染みついたJポップメロディへの依存が都合よく脱ぎ捨てられればいいのに。

今日はやはり作曲は辛いなというのを再確認した一日。慣れたジャンルだともう少し簡単にいくけれどそれだけじゃつまらないのが音楽だ。テレビに出てるバンドマン達はいつも似たような曲を演奏しているが、死ぬまで同じような音楽をやり続けて嫌にならないのかいつも不思議に思う。僕は何でも作りたいし、勝手に何でもできるのが偉いと思っている。あほである。

1日を無駄に過ごした☆(ゝω・)vキャピ

「生まれたことが、そもそも、ほら、神様のおかげでしょう?その借りが誰にだってある」

「命を、神様から借りたわけか」

「そうそう、それよ」

「だったらさ、死ぬことで、神様に借りを返すことにならない?」

森博嗣クレイドゥ・ザ・スカイ』

やる気があっても身体と頭が全くついてこない日、というのがある。そんな日は終日焦燥感に囚われつつ、一向に捗らない状況を前に、呆然とただ1日の終わりを待つことしかできない。その結果として、時間を無駄にした後悔や不甲斐ない自分への恥ずかしさに耐え難い苦しみを覚える。いっぱしの向上心や理想など捨ててしまえば楽だが全てを諦め切れない。動物たちの方がよほど上手くやっているというのはその通りだ。

こういう時、僕は、諦観が支配している退廃的な世界に空想のなかで耽溺する。例えば平安文学であったり冒頭に引用したスカイ・クロラシリーズといったある種の中二病的フィクションを読み返しては別に頑張らなくいいやと溜飲を下げるのだ。もちろん平安時代の貴族も表面的には出世争いに精を出しているのだが、作品の全体からは、人生に対する個々人の無力さが喘ぐように描かれていて実に心地よい。

また死ぬこともよく考える。死ねば苦痛から逃れられるだろうなとゲーム感覚で考えてみる。実行には移さない。ただ、死は人生の無意味を根底で支えているのだから、ここでその肩を持たないわけにはいかない。人はどーせ死ぬから、という言い訳のお陰で今日1日なんとか生きられる。姑息なやり方だが効果はあるはずだ。

とはいえ、自分のやりたいことに対してでさえ身体が動かない僕はいずれホームレスになってもおかしくないでしょう。将来への不安は拭っても拭いきれません。そんな時もやはりどうやって死ぬかを考えます。刑務所も生活保護も自由が無いので嫌です。だから残された手段は死ぬことでしょう。いざとなったときの具体的な死に方が僕の不安を少し軽くしてくれるというわけです。まぁ、これもゲーム感覚ですけど。西部邁くらいの人間じゃなきゃそんな計画は達成できないのですから。

日記

今日は二日酔い気味で目覚めた。天気がよい。散歩に出かけた。名城公園を歩いた。以前は閑散としていたが、飲食店などが園内にできたためか学生や子ども連れの人々で賑わっていた。このあたりはまだまだ開発が進めてられていくようだ。なんとも今更な話だが名古屋は観光という要素を軽視しすぎていたのかもしれない。
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気候はかなり暖かくなった。もはや上着は要らないだろう。しかし、花粉のお陰で眩暈がしてきてかなり辛い。花粉症による人間のパフォーマンスの低下からくる経済的損失はどれくらいのものだろうか。今あるスギを伐採し花粉症の対策がされた品種の苗を植える試みが林野庁によって行われているらしいが、その効果のほどが実感できるためにはかなりの時間がかかるのが現状のようだ。花粉症による医療費の増加や外出を控えることによる個人消費の減少も考えれば、いくらかのコストを払い伐採と植樹による根本的な対策をなす事は合理的に思う。花粉発生源対策の予算は2016年度において4億円ほどであるらしいが、4億では焼け石に水だ。形だけ予算を配分して対策をやってますというアピールの域を出ない。花粉症対策は生活にも直結するので国民の同意も得やすいように思うが誰もやらないのである。損せず得をとれるカードを政治家が切らないのは不思議だ。

 

少しずつ自分の調子が良くなってきているのを感じる。やはり焦らないのは肝要である。28歳にしてロックスター気取りで人生を駆け抜けようとしても格好がつかない。調子の波には逆らわず流される方が楽だし安全だ。

 

日記と思ったこと少し

 ブログのネタは日記に限らなければ何だってあるが、日記が一番楽なので日記を書く。

 今日は朝からスーパー銭湯に出かけた。この施設には風呂の他に岩盤浴やサウナが楽しめるサロンスペースがある。このスペースは子供が入場できなくて割りと静かなため、僕は好んで利用している。ここではマンガが無料で貸し出されているので今日はモンキーターンを読んだ。しかし帰ってからやろうと思っていることに気をとられ内容は頭に入らなかった。せっかく銭湯に来たのにいまいちリラックスできなくて辛い。その後もソワソワは治まらなかったのでさっさと入浴して退館した。

 気分転換に歩こうと思い、徳川園に向かった。2日ぶりに陽の光をあびる。最近はPCで作業することが多く録に外出すらしていなかった。音楽制作者のレイ・ハラカミは夭逝したが、彼も僕同様毎日じっと座って終日作業に打ち込んでいたに違いない。思うに、彼の死にはこういったあまり体を動かさないライフスタイルにも関連があるのではないか。気を付けなければ。

 少し歩き徳川園に着いた。入園料は300円。静かで手入れのされた美しい日本庭園を300円で散歩がてら歩きながら楽しめるのだ。良心的な価格設定だと思っている。
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園内は、日曜日で少し観光客が多い印象を受けた。ほとんどがカップルか家族連れだ。孤独を感じながら、風に巻き上げられたごみ袋のように僕はフラフラと漂う。久々に歩いたのもあってすぐに疲れてしまい、風情など感じる間もなく早々に退散した。

 日本庭園のように健康的で文化的な場所にはある意味で健全な人たちが集う。なかなか僕みたいな友達もいない落伍者はその様な場所を居づらく感じてしまう。

 では一人であることに対して卑屈にも身勝手な劣等感を抱いている輩は何処へ行けばいいのだろうか。僕の答えはパチンコ屋である。なぜか?その根本的な理由は、パチンコがあくまで運に左右されるゲームなことにある(打ち手の実力は長期的にはいくらか作用するが何回かの試行ではそれほど差はないように思う)。

 店にはあらゆる社会的な立場の人が来る。カップルもいるしヤンキーもいる。しかし店内の誰もそれを一切不思議に思わない。日頃の行いやその人の社会的な立場など、平等な抽選(運)で勝ち負けを決めるパチンコには関係がないからだ。だからパチンコ屋はあらゆる人を受け入れるし、ギャンブラーたちもどんな人がいようが大して気にも留めない。そしてパチンコ屋の中には、前科者もカップルも年寄りも誰しもが平等であるという暗黙の了解が空気のように充満していき、人は排斥感を覚えにくくなる。

 このようなパチンコ屋の空気(但し煙草くさい)が好きで僕も以前はよく通っていたが、金ばかり減るのでやめてしまった。しかしどこかで居心地の悪さを感じるとパチンコ屋が恋しくなる。朝読んだモンキーターンでも、ギャンブルに関わっているからこそボートレーサーは、性別や社会的な立場や人柄など関係無く実力のみをもって評価されるとあった。やはりギャンブルにおいては勝ち負けに関すること以外の情報など必要ないのだ。そこには誰もが勝者になりまたは、ぼろ布のような惨めな敗者に成りうる残酷な世界があるが、その根底にはあらゆる者を受け入れる寛容さがあるように思う。

 何だか書いていて思ったけど、これはギャンブルに限った話ではないかもしれない。とにかく僕はギャンブルは非情であること。そこに居心地の良さを感じることが言いたかった。情が人を苦しめている。非情ならあきらめもつくってことだ。

 こんなこと考えていたら日が暮れた。あぁ...