謎の料理をするくらいしかない
鶏肉、ねぎ、レモンを用意する。
この時点で計600円くらい。
サイゼリヤにでも行った方が安くて美味いゾという考えが頭をよぎる。
鶏肉を切る!レモンを輪っかに切る!乗せてネギも乗せる!酒も少しかけた方がいいかも。
このままオーブントースターで焼く。15分もやれば良いと思う。
ネギはやっぱり焦げ焦げになった。
焼き上がる5分くらい前に載せた方が良いかもしれない。なんなら生のねぎでも良いかもしれない。
味はまあまあ。単純にフライパンで焼くのとはまた違った味わい。
別の料理。
たまねぎ少し、ポテトチップス1袋、ベーコン1本、たまご6個くらい、チーズ300円くらいの1袋、を用意する。
玉ねぎはみじん切りにする。ポテトチップスは袋の上から砕く。
チーズ以外、フライパンに入れて焼く。
最後にチーズを乗せて蓋をして焼く。
別に火を通さなくても食えるものばかりなので適当な時間焼けば良し。
味付けの塩は少しでいいかも。
パイのような物ができる。
油の化け物だなぁ(呆れ)。
レシピの詳細↓
1000円くらいでできる。
バイト辞めた
何だかんだ続けていた障害者雇用のバイトもとうとう辞めた。
辞める前、配属先が変わり、仕事も多少変わり、その他もろもろ疲れてしまって衝動的にそのままバックれた。(バックレ癖だけは治らないのである)
思えば2年半以上勤めた。
社内ニートになったり、ヤバいやらかしをしたり色々あったけど人生で1番長く働いた職場となった。
クソお世話になりました。
前回のこのブログの更新は2年ほど前だろうか。
その間特に何も無かったとも言えるし、色々あったとも言える。
けれどもいつだって、今この時がいちばん辛い時期だと感じる。
2年前の当時もそう思っていた。
『Hard times , come again no more』
というアメリカのフォスターという作曲家の曲があるが、いつかこの歌の歌詞のように、今より辛かった過去に思いを馳せる日が来るだろうか。
これは古き良きアメリカの歌であり人を癒すためのフォークソングだ。
トランプ政権が終わり、アメリカは癒しの時代を選んだはずだと思われたが状況は芳しくない。
コロナ、戦争、それに付随するインターネット空間の堕落・陰謀論・分断。
自分に変わりは無いが、少なくともこの2年で世界は大きく変わったように感じる。
やはり都合良く世界がわれわれに微笑むことは無い。
これをまざまざと見せつけられた若い世代がますます冷笑的になる。
アメリカの裁判官だか誰かが言っていたが、自分たちの世代で人権や平等、平和などを求める活動をしたとしても、その種が芽吹くのは何世代か後であり少なくとも自分がその時を見ることは無いのだと言う。
彼(その裁判官は男だった)は、それでもやるべきだと言う。
子どもに未来を残したいのだということだ。
いかにもな善人の言葉だがこれすら言わなくなればもはや手遅れだ。
自分が死ねば世界は終わりだと思っているが、30も過ぎると、公園で座っている時などに子どもが自分の側を駆け回っていくのの見ていると、この裁判官と通じる気持ちがあることに気づいたりもするものだ。
おおげさに言えば、オスカーワイルドの『わがままな大男』みたいな感じだ。
何年もたち、大男はたいへん年老い、体も弱くなりました。 もう遊ぶことはできませんでしたから、大きな肱掛椅子に座り、 子どもたちが遊んでいるのを見、庭を楽しんでおりました。 「ここには美しい花がたくさん咲いている」大男は言いました。 「しかし、子どもたちが何よりも美しい花だ」
開き直りの冷笑主義が増えた時代だ。
誰も自分自身を見つめたくないらしい。
今現在、絶賛無職中だ。
家にいる限り、精神的体力的負担は少ない。
在宅の仕事が向いているかもしれないが都合良く今後得られるものでも無いだろう。
今、障害者の為の就労支援施設に出戻って通いながら職を探しているが、それも芳しくはない。
別に、出戻る必要も無いかなぁと思いつつも、なんの社会的な支援との繋がりもなく生きていくのも少し寂しいかなぁと思い、結局今も通っている。
そこは以前通っていたところとは違うのだけれど、所変わればということで、利用者にも以前のところとはは違いが見られる。
以前は障害の態様も人によって様々な印象だったが、今は圧倒的に発達障害が多数派に見受けられる。
それも20代くらいの若い人達だ。
一様に真面目な人達であり、こういった人たちは、相対的に、本職のうつや双極性障害の人とは違い、体力があるので働く意欲もあるのだろう。
おっさんになってよくよく観察していると、若くて小綺麗で真面目な発達障害の人たちはやはり女性の職員に可愛がられたりしている。
自分を含めおっさん共のあしらわれかたというと、見ていてなかなか面白いもんでこれも貴重な経験だなと思いながら通っている。
女性となるとこういった見た目や年齢での扱いの違いというものを、若い頃からより肌で感じていて大変な思いをするのだろうなぁと思う。
まぁいずれ皆、みにくく年老いて、若い人たちにしかめ面されながら無様にケツを拭かれる未来が待っているのだ。
いまから謙虚になっておくのに越したことはないはず。
まあボチボチまたやっていこうと思う。
以上
障害者雇用バイト継続中2
最近のバイト
働き出してそろそろ11ヶ月が経つ。
バイトだが相変わらず干されておりここ2週間ほど業務がほぼ無い。
一日のうち4~5時間は手が空いている状況が続いている。
業務があっても書類整理等の単純なもののみ。
こうして私のモチベーションは限りなく無くなり、結果、業務中はほとんど席でこっそりスマホを見るかトイレ等で時間を潰すという酷い有様となっている。
しかし、この点僕は完全に開き直っていて、サボろうが寝ようが特に罪悪感もなく、一方で業務を与えない相手側が悪いと思っており自分の行為に対して一切の責任を感じていない。
結局この仕事で得たのは、世間を生き抜くためのこうした図々しさのみだ。
ただ、一応業務を増やすよう頼んであるので今後改善するかもしれない。
まぁ期待は禁物。
障害者を干すんじゃねーよ。
日々の生活
特に無い。
たまにイライラして帰ってきたらそのまま薬を飲んで寝たり、機嫌が良かったら町内を徘徊してその後川で1人遊んだりするとい不審者そのものの生活を送っている。
ただここ最近はまともな?日課があり、朝か夜にキーボード(ピアノの鍵盤の方のやつ)の練習をしている。
見たコードネームをサッと弾けるようになりたいからだ。これをマスターすれば弾き語りも即座にできるでしょ。
だからひたすらネットのコード進行サイトや楽譜のコードを初見で弾く作業を続けている。
もともとコード自体は頭には入っていたが手がついてこないという感じだったので、この練習は1ヶ月も続ければ問題ないはず。
読んでる漫画
志村貴子の『おとなになっても』、『ビューティフルエブリデイ』を楽しみにして読んでいる。
おとなになってもは、家庭問題を交えたレズビアンの話しだ。(相変わらず僕はこーいう話が好き)
障害者雇用バイト継続中
久々にブログを更新する。
障害者雇用で就いたバイトは続いている。
もう就労してから8ヶ月が経った。
これはなかなかの数字だ。
参考に以下に僕のバイト歴を披露したい。
ピザ宅配(2日)
A型事業所(11ヶ月)←いわゆる障害者の作業所
ナゴヤドームの清掃(1日)
以上バイト歴=職歴全て。
あと3ヶ月もすれば記録更新というわけだ。
ちなみに上記3つのバイトは全て僕のバックレによって縁が断ち切れたことを書いておきたい。
これが僕という人間であり、初めての読者にとってこれ以上の自己紹介は無いことだろう。
さて、現状について少し書きたい。
前回の記事では雇われながらほぼ仕事が与えられていないことについて触れた。
いや、触れたどころか怒りを込めて飛び蹴りを入れたと思う。
それから数ヶ月がたった。
今はというと、少しそれも改善されて終業まで何かしら手を動かすことが出来る状況となっている。
仕事自体は書類の整理(延々とファイルに挟み込む作業)がほぼ全てである。
作業所の単純作業が一般的に袋詰めや箱作りであるとすると書類整理はクリエイティブさの面で作業所のそれに劣る。。
分からないかもしれないがこれは重要な問題だ。やりがいや達成感は少しでもあった方がモチベーションを保つのに助けになる。
無論こんな世界分からない方が幸せだけど。
次の記録更新まで後3ヶ月。
障害者雇用ということで軽く腫れ物扱いされつつ、金箔を薄く引き伸ばすかの如く、できる限り時間を使いながら数の限られた書類をファイルに挟んでいく。
そんな毎日を耐えることで何が待っているのだろうか。
分からない。
ここで希望を持てるほどもはや若くない。
しかし、とにかく今日を生きれたことは確かだという事実に気づく。
脆弱な生存本能がここに来ておわりまでの時間稼ぎをしようとしているのを感じる。
これが歳をとるということなのだろうか。
バイトについての近況はこんなものである。
以下は雑多な日記。
最近はというと僕は調子が芳しくない。
落ち込むこともあるしやる気が出ないということもある。
働いてなかった時の体調の悪さを久々に思い起こしている。
せっかく辞めれていたギャンブルも再開して金も無いし、趣味も面白くないし、何事にも集中できない。
徘徊中に限界を感じ橋の上から矢田川に猛烈に飛び込みたくなった時をMAXとするならその何歩か手前という所。(橋から矢田川に飛び込んでもほぼ死なないが)
最近これ以上生きても仕方がないという気が湧いてくるのも30になったからだろうか。
今日ブログを書こうと思ったのもその気晴らしという面が大きい。
話は変わるけど、以前居たデイケアで仲の良かった人に最後に会った時、彼はこういっていた。
毎日電車を見ると飛び込みたくなるよと。
意外かもしれないけど案外精神科ではみんな滅多にこんなことは言わないのだ。
彼は立派にデイケア卒業し仕事に復帰したが難しかったようだ。
彼は今どうなっているのか。
彼の職業は薄々聞かされていた。
僕は今おそらく彼と同じところで働いている。しかし以前確認したところ彼の名前を名簿に見つけることは出来なかった。もしかしたら異動してるのかもしれないけど。
調子が悪くなるとふと彼のことが気にかかるのだ。
どこかで会えることを願う。
次の話題へ。
唐突だけど僕は人一倍性欲が強い方なので、その処理も兼ねてたまに風俗に行くことがある。
兼ねてというのはある特定の風俗嬢に会って話がしたいという気持ちもあるからである。
僕が行くのは本番行為(セックス!)ができない健全?な店だ。
そのため何年か結構通っているが彼女とセックスすることは無かったしこれからも無い。
僕は彼女が好きなわけだが彼女が自分のものになることは無い。
なぜなら僕は金も無い。男として人としての魅力も無い。正職も無い。そもそも単なる名もなき客Aである。
この事実に加えて彼女とセックスもできないと来ている。
つまり金を払って行くだけ虚しくなるのだから、風俗嬢を好きになってはいけないのである。
と自覚しているのであまり彼女の所へは行かないことにしている。他のところへも滅多に行かない(行けない)けど。
しかし最近やけに彼女のことが気にかかる。
おそらく自分の手に入らないからこそそういうち気持ちにもなるのだと思う。
前はパートナーが居ないことに寂しさは感じなかったがやけに最近このことに悩む。
おそらく僕は一生1人であり結婚はおろか彼女すら一生1人もできないまま死ぬのだろう。
このことを考えるとさらに気が滅入る。
あまりにありきたりすぎて書くほどのことでは無いけれどこれも気晴らしと思って書いた。
話題はさらに次へ。
普段はバソコンで暇な時にちまちま音楽を作るのだけど、そのモチベーションが保てなくなった。
しかし今は文章なら書けるので、シナリオを書いてゲームを作りたいと思うようになった。
ゲームには音楽も必要となるが、ゲームに添える曲ということなら音楽作りのモチベーションも上がり作れるかもしれない。
これならシナリオも音楽も作れて一石二鳥である。
やはりこれからは総合芸術を目指すべきだな。へへ(意味不明)。
これはいたってシンプルなノベルゲームだった。
シナリオはノッキオンヘブンズドアという海外の映画をそのまま流用したような話だったけどプレイしたら楽しめた。
数時間で終わる話だったけど記憶に残る作品だった。
僕もこういう短いのをちょっと試しに作ってみたい。
ちなみにこのゲームはキャラの絵などはなく背景とテキストのみで構成されていた。
金をかけなくても作品は作れるということだ。
今回のブログはこれで終わり。
またすぐ書けたらいいな。
社内ニート
社内ニート
障害者雇用でバイトをしているが、仕事が無い。指示も無く業務も無いのでバイト中は以下に暇を潰すかが僕の仕事となっている。
たまにこのような扱いは障害者に対する国家ぐるみのいじめなのでは無いかと思いバイト中に叫びそうになるが、何とか今のところ黙って過ごしている。
いわゆる社内ニートの障害者についてネット検索していたが、ある当事者がこの状況をさして「飼い殺し」と呼んでいた。
的確な言い方だと思った。
被害者ぶった物言いをするなと思う人もいることだろうが、障害者として幾度も面接を受けやっと雇われた先で、干され続け、加えて相手にも仕事を与えられないとうう理由で申し訳なく思われ、自分も肩身の狭いを思いをし、一体障害者とはなんという罪深い存在なのかと手の空いた勤務時間中に問い続けながら、もしかしたらいずれは状況が好転するかもしれないという僅かな期待と飼い殺しになり続ける不安とのせめぎあいにさいなまれるという日々を経験すればわかることだ。
とにかく、あと結構な期間今のバイト先に務めることで書類上の職務経歴を得なければならいので、現状に耐えることが目下の課題だ。
最近は暇つぶしの方法として、日記を書くという方法を編み出した。
何かしら書くことは限りなくあるので終わることはないし、紙に書き込んでいる姿はなんとなく仕事をしているように見えるのであまり肩身の狭い思いをせずに済む。
そんな感じ。
この話題は終わり。結びの言葉は面倒なので書かない。
フガジのドキュメンタリー
アメリカのパンクロックバンドfugazi(フガジ)のドキュメンタリーを途中まで見た。
彼らは反商業主義の代表的なバンドとして知られている。
作中フガジを知る人がこのような噂をしていることが紹介される。
「フガジは一軒家にメンバー全員で住み、電気やガスを使わずに生活をしながら音楽をしている」
この話を聞いたメンバーはこれを一笑に付していたが、フガジに対する一般的なイメージを示すシーンだと思った。
まさに映画ファイトクラブ的なストイックかつ半消費社会的な態度を彼らは持っているのだと音楽やライブを通し感じさせてくれるのだ。
フガジはチャリティー的なコンサートをよくやっているようだ。例えば女性の権利のためのイベントや若い犯罪者の更生施設などの慰問ライブなどに彼らが出演しているシーンがある。
あるライブでフロントマンが演奏中にこう言う。
「先日こんな記事が。"何人かの青年が"少年じゃないぞ。"公園で同性愛者の男性に暴力をふるった"と新聞が報じていた。何人かの青年が。少年じゃないぞ。公園でゲイの人をリンチした。いいか。何人たりともゲイだからって理由で殴るな。黒人だからって殴るな。女性だからって殴るな。暴力を振るうな。誰に対しても。」
なんて模範的な人達だろうか。
この言葉に応え、歓声を上げたり、肯定の合いの手をいれる観客達。それを聞いていたメンバーの中でいちばん温和そうなドラマーがカットの最後でふっとにこやかな顔をするのだった。
このシーンだけで観る価値のある映画だ。
作品集を作りたい
作った曲が溜まってきつつあるのでひとまとめにしてYouTubeにでもアップしたい。
1曲くらいは他人にボーカルを入れてもらいたい。
それだけ。
働きだした
とりあえず今、週5日で1日6時間働いています。
契約は期限付きなので今後どうなるかはわかりません。
でもリハビリとしてはいいかもしれません。
ちなみに障害者雇用です。
時給は最低賃金。
そのかわり仕事はやってもやらなくてもいいようなことです。
まさにリハビリですね。
雇う側も法律で定められてるから僕という障害者を雇っているだけで、特に僕に何も期待していないでしょう。
気楽なもんですね。
この仕事の選考に受かったあと、すぐに働き出すことになったので就労支援所の対処手続きなど急いでしなければいけなくて少し大変でした。
就労支援では一応他の利用者の前で卒業する旨を伝えたのですが、その際シラーっとした空気の中みんなうなだれたように下を向いていて、なんだか就労支援のセンターを去るのに何の未練も残りませんでした。
でまあ、働いてみてわかったのは6時間勤務で休憩含め実質7時間拘束というだけでも結構キツいということ。
本当はフルタイムで働きたかったのですがこれでよかったのかもしれませんね。
あと今のところ仕事のやりがいというものは皆無です。
そこのところでモチベーションをごまかしながら維持できればなんとか勤め上げることができそうです。
ちなみに前に実習に行った民間の特例子会社(大概比較的大きな企業の子会社で、障害者を集めて仕事をさせ、そこで働いている障害者を親会社の障害者の法定雇用率に算定するための会社)はクラウドワークスの入力業務を大半の社員が延々としていました。
クラウドワークスの単価はかなり安いのでこれは会社として完全に赤字ですね。
しかもその会社の親会社となんの関係もない業務だし。
でも企業はそれでいいのです。
赤字でも障害者を雇っている事実さえあれば。
だからまぁ、こっちも気楽な態度で臨めばいいのかなと思います。
ただ、きちんと仕事のある特例子会社だとやたら規律が厳しくて学校とか刑務所みたいな印象を受けます。
だったら気楽な方がいいのかなと個人的には思います…うん…。
記事終
and
無職終
今日も今日とて就労支援に通うひきこもり
ここ最近は毎日障害者のための就労支援に通いながら、たまに就活をし企業の選考を受けるという日々を送っています。
先日は毎度の事ながら選考に落ちたという知らせを聞きました。
受かる可能性の有るところだったので残念に思う気持ちもある反面、正式な選考結果を聞くことができてホッとしたという気持ちもあります。
先行における企業の評価として、僕は業務を行う上で補うべき点は無いとかなり良い判断を先方にされましたが、他の障害を持つ応募者との兼ね合い等も加味され選考に漏れたようです。
僕が応募した仕事は内容は単純作業だったのですが、なまじ僕が事務職志望で、ある程度の業務を問題なく出来る分、こいつはこの仕事を飽きずに長く続けてくれるのだろうかという不安も企業側にはあったようです。その点は面談をした際に何度か確認されました。
その際、業務自体は単純だが長く働きたい旨を伝えたけれども結果としては駄目でした。
まぁ、というのが就労支援の担当者の人に聞いた先行結果の理由なのですが、実際はどういう理由なのかはわかりようがありません。
今回の求人に応募するきっかけとなった就労支援の担当者の人は、僕が選考に通らなかったことを私の力が及ばなくてすみませんと謝ってくれました。
(´;ω;`)ウッ…謝りたいのはこちらの方だよ。
ここぞという時に駄目でごめんね(;O;)オンオン…
僕は負担のある業務に耐えられないので、業務量が多かったり責任の大きい仕事を任される会社は受けたくないし、逆に今回のようなルーティンの作業を黙々と行う仕事だと企業から「おまえハードル下げてこんなつまらない仕事するのかよ」と不審感を持たれ落とされるという中途半端な状況にあります。
この点、僕が大卒であったり中途半端に資格を持っている事も1つネックとし加味されるでしょう。
難しいですね。カミュの異邦人で、主人公が持っている秀でたある側面が裁判官に評価された結果、主人公が死刑判決を受けたという場面を思い出します。一般的な長所が足枷になる不合理が社会にはあるのを実体験を通して思い知りました(おおげさ)。
責任のある仕事の求人は受けたくないと上述しましたが、そもそもそういう仕事は選考が厳しいので、ひきこもり歴が長く就労経験の無い僕じゃ通りません。
こうなると八方塞がりな感じがしてきます。
就労支援が受けられるのは2年までなのでそろそろ2年経って駄目だったときのことを考えなければならないかもしれません。
無論、考えても働き口を見つける以外に答えは無いのですが。
ひきこもりからの回復 前編 鍵は“他者からの承認” - 記事 | NHK ハートネット
ひきこもりからの回復 前編 鍵は“他者からの承認”
いろいろググっていたら僕と同じようなひきこもり男性が就労支援に通っている記事が出てきました。
この方が今は就労されてるといいですね。
記事において精神科医の斎藤環は言います、ひきこもり回復の力になるのは他者からの承認であると。
なるほど。
なんか僕には今は必要ないッスね。
結局、人生は進んでいくと新しい問題が自然に浮かび上がってくるという事です。
自称ひきこもりとは言え、自分の中途半端な立ち位置を再確認しました。